ある信頼できる情報筋から組合せ論・離散数学の研究ができる学部として「東京大学教養学部広域科学科」が挙げられている、という情報を得た。
割りと偏った評価なので誰が作ったかだいたいわかってしまう、というのが私のまわりの意見だが、確かにそうだ。
としても、
日本では珍しいマトロイドの研究者のもとに、優秀な大学院生が集い、幅広い研究を展開中。とある。
あと、ようやくサテライト会議に投稿した。
はじめ、ファイルが見えない、と送り直しを要求されたので焦ったが、
なんとか受け取ってもらえたようだ。
あとは、本会議の〆切まで本会議で発表できるような面白いことを考えよう。
ちなみに、サテライト会議に投稿したのは去年の夏から秋にかけていろんなところで発表したものなので、
本会議の方では違うものを発表したいのです。
といっても、去年の年末から今年の1月ぐらいにやった結果だと、ちょっと小さすぎるし、
本会議の方で発表したいテーマは「組合せ論」なので、もう少しそれっぽい方向性を出したいところです。
で、3件の発表を聞いた。
はじめが、Anand Srivastavで、ハイパーグラフの彩色に関するdiscrepancyの話で、
大枠は、通常の2彩色の場合をもっと多い色の場合に拡張する話。
代数的な手法を使って、上限・下限を求めて行くところはこの手の研究の王道だが、やはり興味深い。
次が、Gyula Karolyiで、3多面体の境界の三角形分割(だと思うけど誤解してるかもしれない)のalmost disjointな三角形の個数の評価。
巡回多面体などを使うが、構成法は割りと込み入っていて追い切れなかった。
でも、一応アイデアだけは理解したつもり。
最後が、Jiri Matousekで、有限リプシッツ集合のサイズに関する話。
リプシッツ集合というもの自体を知らなかったので勉強になった。
あと、Jirkaの(授業以外の)講演というのをはじめて聞いたことになるが、ジョークとかそういうウィットもたくさん散りばめられていた。
今日も主成分分析の続き。
だけども、MatLabの計算が4時間経っても終わらないので、結局諦めた。
最近、研究上でいろいろなことを考えるが、どう考えてもこれとこれは関連があるのだけれども、ちゃんとその関連を形式化できない。
というか、似たようなことを違う文脈と違う名前でやってるから、その全てが見える立場としてはとても混乱する。
しかも、見え方が不鮮明だから混乱に拍車がかかる。
と、全くわけのわからないことを書いてますが、いずれ結実させたいと思うようなアイデア。
で、実習の方では、MatLabを使って人の顔の識別をやってみた。
はじめてMatLabを使ったけれども、なかなか便利だと感じた。
もっとも大したことをしたわけではないので、今後自分がどれくらい使えるかは不明。
「家から駅までの経路のなかで、どれを選ぶと最短か」という話ですが、最短路問題だと思うと、コストはすべて正なのでDijkstra法で解けます。
計算量は忘れました。フィボナッチヒープを使うと速くなるとかそういう話があったと思います。
少なくとも、Ford-Bellmanよりは速かったと思います。(何で記憶が曖昧なんだろうか。)
あと、Thorupのアルゴリズムを使えばO(n+m)で解ける、という話もある(と思う)のでそれも興味深いですね。
(もっとも、僕はThorupのアルゴリズムをちゃんとフォローしているわけではないですが。)
しかし、DNAコンピューティングの解説記事を1年ぐらい前に見たときには、5都市のTSPがなんたらかんたら、って言っていた(記憶がある)ので、
とても大型で今のコンピュータではどうしようもないような問題はまだDNAコンピュータでは解けないのではないでしょうか。
ここらへんの事情は量子コンピュータと同じような気がします。
で、Combinatorial Optimizationの定訳は「組合せ最適化」です。
ある先生が授業で「組合わせ論的最適化」とおっしゃっているようですが、これはいささか通常のいいまわしではない、ということになります。
もっとも「組合せ論」を「組合わせ論」と書いてしまうだけで素人感が如実にでてしまうというのも面白いのですが、simulated annealingを中心に据えているところが物理学的なものを扱っている人の好みみたいでその点も興味深いです。
というか、最近のmetaheuristicsではsimulated annealingはどれくらい研究されてるんでしょうか。
最近のはやりはタブーサーチとGRASPかなぁ、と勝手に思い込んだりしてますが、metaheuristicsをよくご存知の方からするとどうなんでしょうか。(と、誰に意見を求めてるのだろうか。)
とはいえ、simulated annealingはある強い仮定のもとでの漸近的な大域的収束性が示されているので、理論的に色褪せないものを持っている気もあります。
しかし、自分は数値計算についてほとんどと言っていい程何も知らないのだなぁ、といまだにびっくりする。
もっとも学部学生のときにちゃんと勉強してないからいけないのだけれども、最適化の専門家を目指す身としては簡単なことぐらいはしっかり抑えておきたいものだ。
数値計算のことがわかっていないと、内点法とかさえしっかり説明できないことになるわけだから。
で、どれくらいダメかというと、最近「日曜プログラマ」などという不健康な日々を送っていて(もっとも、昨日は雨だったから外出する気にはなれなかったが)、昨日は練習がてらガウスの消去法でもさらっと書いてみようかな、と思ったら、全然書けなかった。
というか、バグがとれない。
(こんなことを書いてしまっていいのだろうか。割りと恥ずかしいことだぞ。)
配列の添字のまわりで整合性がとれていないのはわかっているのだけれども、それをしつこくデバッグするだけの根気が無い。
やはり、プログラミングは根気なのか。
(つまり、実装はどれくらい創造的な作業なのか、ということ。)
あと、今日したこと。
スイスでの学生生活を続けられるようにするための書類を提出した。
というか、続けられなかったらどうしよう。
もうひとつ。
書き物をアップデートした。
前に書いたものに書き足して、タイトルも別のものにしました。
今日、Gyula Karolyiがセミナーで話をした。
Discrepancyに関する話で非常にわかりやすかった。
久々に計算機プログラミングIの掲示板に書き込みをしてしまった。
あと、シートを紙で隠すことに関してですが、これは良い点と悪い点があります。
しかし、悪い点の方が圧倒的に多いです。(いちいち指摘しないことにします。)
ただ、根本的な解決方法としてはOHPシートを使わずにビデオプロジェクタを使う、ということになります。
こうすれば、上でわざわざじかに指摘しなかった悪い点がほとんど解消されます。
PowerPointなどを使うときに、ページをぱたぱためくられて読むのが追い付かない、という意見があります。
まさにその通りだと思います。
この点は十分に気を付けて発表しなくてはなりません。
まず、ひとつ気になる点はぱたぱたページをめくるためには、話し手は常にコンピュータのそばにいないといけなくなります。
話し手のポジションとしてはスクリーンの横に立つ、というのが(僕の価値観では)最適なので、そのポジションを守ればだいたいの場合はページをぱたぱためくることができなくなります。
(なぜなら、大抵の場合、コンピュータはプロジェクタのそばにあって、プロジェクタとスクリーンは離れているから。)
セミナーなどの場合は、スクリーンからコンピュータのところまで移動するちょっとの時間が、聴衆にとって質問を投げかけるための良い間になったりして、一石二鳥です。
とはいえ、僕と八森さんでこれだけ(お互い間接的に)発表の仕方についていろいろ意見がでるのも何かすごい気がします。
八森さんと僕の出身研究室はとても発表練習に力が入っていたことを思い出します。
僕が4年生のときに、卒研の中間発表をする前とか3回ぐらいは人前での発表練習をさせてもらったような気もします。
発表練習の重要性はどれだけ強調しても強調しつくせない感じがあります。
自分でも、たくさん発表練習をしたときの発表とそうでないときの発表では雲泥の差があります。
また、他の人の発表練習に立ち会って、その中で自分に活かせることを発見することもしばしばです。
発表練習の文化は研究室によって違うようで(最近は国によっても違うようなことを発見しつつありますが)、
その点だけをとりあげても、今までいた研究室は(自分にとって)よい研究室だったと思います。
ということで、卒研のガイダンスがあったそうです。
万が一、中村研を志望する人がいたら、連絡を頂けると嬉しいです。
昨日の続き。発表の仕方については常日頃考えているので、ついつい熱くなってしまう。
シートを縦にして使うのはよくないです。
なぜか。
下のほうは見えないからです。
昨日のところにもあるように、OHPのヘッドが邪魔なので、シートの下のほうは見えません。
OHPのヘッド以外にも前にいる他の聴衆の人の頭も邪魔だったりします。
だから、シートは横にすべきです。
以上。
まず、最近僕もxfigを使うようになりましたが、確かにTeXのソースを埋め込むことができてよいです。
しかし、LaTeXの文書に取り込むときに大きさの指定をしにくいことが問題です。
僕はOHP(スライド)をLaTeXで作りますが、LaTeXでのスライド作りは微妙な大きさの設定が命なので、その点が問題ですね。
(つまり、LaTeXの中で大きさの指定をするのが困難で、xfigの中で拡大とか縮小とかしないといけない。)
僕は機会さえあれば、いつでもTgifに戻るつもりです。
「発表は手書きのOHP」運動は撲滅したいところです。
もともと、諸悪の根源は何かというと、PowerPointの書式をそのまま使ってなんとなくスライドを作ってしまう、という人がとてもたくさんいる、ということです。
八森さんも指摘してるように、箇条書きでなんとなく進んで行くのは全くつまらないです。
(換言すると、そういうスライドを授業で使われたりした場合には非常に眠いわけです。)
といって、手書きのOHPが最善か、というとそうでもないところです。
まず「丁寧に書けばとても見やすい」というのは何か、というと、逆に言うと、気を付けて丁寧に書く必要がある、ということですね。
これは割りと労力がいって、以前私も(LaTeXで作った)白黒のOHP(トランスペアレンシー)の上にマーカーで色づけしましたが、これだけでもすごい労力でした。
このことに労力を費やすのなら、もっとスライドや発表の内容に労力を注ぎたいところです。
「軽い」というのはごもっとも。
反論の余地はないですね。
次に「安い」というのがあがっていますが、
金銭面だけ捉えればそうかもしれませんが、その他諸々のトータルのコストというものを考えるべきでしょう。
例えば、LaTeXで作れば再利用が非常に簡単にできます。
スライドから配布資料を作るのも簡単です。
ただ、ここで注意しておきたいのは、「LaTeXで作れば再利用が簡単」といってるのは、
論文をちょこちょこっと変えればすぐにスライドができる、と言ってるわけではないことです。
そういうスライドは僕にとってもスライドではないですね。
スライドにはスライドのための書き方や論理があるので、全く別に考えないといけないはずです。
あと、ノートPCと手書き用OHPシートの値段比較もありますが、別にノートPCは研究会発表のためだけに買うわけではないと思うので(もっとも僕はそうだったが...)、この比較はフェアではないですね。
次に「発表前日に宿で直しが簡単にできる」というのは、発表の準備が周到でないことの証。
こういうことを若い人に薦めてはいけないでしょう。
最後に「たくさん書くのは疲れるので枚数が抑えられがち」というのがあります。
枚数が少なければよいか、というとそうでもないですし、特に「だんだん疲れて来て最後の方で話がしぼんでしまう」ということもありえます。
僕はスライドの枚数が多い人なのですが、ほとんど時間超過はしません。
(半分嘘。時間超過をしそうになったら、スライドをとばすだけ。
発表練習では時間内に収まっているが、本番の場の雰囲気とか機械の調子とかその他諸々で超過しそうなことがたまにある。)
枚数が多い理由は字が大きいことでしょう。
会場の広さがわかっているときには、それに応じて文字の大きさをかえる、とかそういうのは当然です。
手書きだとついつい字が小さくなってしまうので、その点に気をつけなくてはいけないです。
(手書きで大きい字を書こうとするとレイアウトが崩れがちになることにも注意。)
あとは何でしょう。
まず、発表のときにどうしてスライドを使うのか、ということです。
それは時間が限られているからです。
黒板を使ってゆっくりやっていられるならそれが一番なのですが、そうもできないのでスライドを使うわけです。
研究会発表などはテクニカルな詳細よりも雰囲気や印象(自分の話に興味をもってもらえるかどうか)ということが大事なわけなので、
時間を守る、とか、印象深い例(図など)を用いる、とか、どこに座っている人にもスライドが見えるようにスライドを作り、なおかつ、どこに座っている人にもスライドが見える場所に立つ、というのは非常に重要だと思っています。
最後の点は非常に見落とされがちなことで、これは声を大にして言いたいことです。
黒板を使うときも同じです。
よくある光景としては、黒板を書いてる人にしか今まさに書いているところが見えなくて、書き終わってから、ようやく聴衆に見える。
これを授業でやられると、非常にノートをとるのが大変なのです。
書きながら聴衆に向かって喋って、しかもその書いている文字を聴衆がつぶさに見てとれる、となると黒板の前に立つ場所はおのずと限定されてくるのです。
京大のM先生が東大で授業したのを聞きにいきましたが、M先生はそのような立ち位置で授業してました。
そういうことを気にしている人はどれくらいいるのでしょうか。
たとえば、プロジェクタの上のシートを指さしながら話す人とかいますが、そうなると、話す人がプロジェクタのそばに立つことになり、聴衆にとって画面を見るのがとても大変になります。
極端なことを言うと、僕はプロジェクタの「ヘッド自身」も邪魔だと思っているのです。
そういう意味でOHPを使うこと自体がビデオプロジェクタに劣るわけです。
あと、「研究室レベルのセミナー発表でOHPやPowerPointを使うのは論外」とありますが、これはその研究室のセミナーが何を目的としているのか、ということによるでしょう。
八森さんと僕が所属していた研究室は毎回一人が発表で、時間もほとんど無制限(だいたい3時間ぐらい)なので、黒板を使ってこと細かく議論ができましたが、どの研究室もそうとは限らないです。
例えば、1回のセミナー(2時間ぐらい)で5人ぐらいが発表するとかいうことは、ざらにあるのではないでしょうか。
そういうときにはOHPなどを使わざるをえない、と思います。
(と、八森さんの最後の部分に、そのような補足がありますね。失礼しました。)
といってきましたが、まずは何よりも「どうやって発表するとよいか」ということを考えることからはじめないといけないでしょう。
教官の教え方が下手だ、って文句を言っている学生に限って、発表がうまくないです。(特にこちらに来てから)。
発表の仕方に気を付けている学生は、教官の下手なところと上手なところの両方がちゃんとわかっているわけです。
下手なところはどんな人の目にも付きやすいですが、
上手なところに気を付けて自分の発表に生かしている人なら、発表にはどんなメディアを使ってもよいのではないでしょうか。
と、とりとめのない結論になってしまいました。
今日の演習は、またdiscrepancyを計算した。いろいろと。
4ページのアブストラクトを書くのに非常に苦労した。
もとの論文が20ページぐらいあったから、それを削って削って削って削って、
ようやく4ページになった。
〆切までまだ時間があるので、ゆっくり校正しよう。
群馬大の中野先生のページを見ていたら、「聴覚障害者の授業参加のために」というページがあることに気付いた。
今まで、そんなことを全然気に留めていなかった自分に愕然としたものの、
ノートテイクという概念などがあることを知ることができてよかった。
特にその中の「教官への注意」というのは、
聴覚障害者の人のためだけではなくて、授業改善のためにとても重要だと思われることがいろいろ書いてあるので、
以後このような点も注意していきたい。
で、授業のはなしに戻ると、
現在、「近似アルゴリズム」の授業を受けているわけだけども、
やはり、どうも、近似アルゴリズムだけにこだわった授業をやっていると、
絶対にいろんなことを誤解する人がいると思うのでなかなか危険だと思う。
実際にそういう誤解をしている人がいるのかどうかはわからないが、
考えられる誤解というと、
って、何を書いてるんだろう。
全然日記ではない。
まぁ、とにかく復習。
ということで、投稿中の論文を送る前に、見直し作業。
タイポが思いのほかあってびっくりする。
見直しは終わったので、明日メールで送ろう。
で、実際書いたプログラムはどんなのかというと、単位超立方体の中の点の集合に対してそのdiscrepancy(ばらつき具合)をモンテカルロ法で求めるというもの。
その他、一様乱数を発生させて単位立方体中に点を発生させるモンテカルロ法よりも、決定論的に一様乱数のような(具体的にはdiscrepancyの小さい)点の系列を発生させる準モンテカルロ法の方が積分の収束が早い様などを観察した。
今日の授業は早かった。
エクササイズも全然わからなかった。
論文を読んで内容を発表しなくてはいけないのだけども、こういう自分がわかっていないことを人に発表しなくてはいけないというのは苦痛。
しかしなぜか、今日は発表しなかった。
というか、エクササイズを途中で抜けて、別のセミナーにいってしまった。
H. Groeflin氏の話を聞きにいった。
A.J. Hoffmanといっしょにlattice polyhedraに関する論文を大昔に書いた人だ。
最近の論文についての話で、ちょっと話は早かったが、大枠はだいたい理解できた。
話が終わってから、論文を頂いた。
なんか、劣モジュラの研究熱が自分の中でまた高まってきた。
新たな書き物書き。
あまり進まない。
構成が前のものとほとんど同じなのがいいのかわるいのか。
しかも、こちらの結果のほうが面白くない。
書き物に対するコメントを頂いたので、それに沿って修正。
チューリッヒ湖の北側の周辺に出店などが出ていて、ちょっとした祭のようになっていた。
人も大勢いて、この日ばかりは普段静かな街も活気づいていた。
活気づいていると言うよりは、花火や爆竹が鳴り響いていて、相当うるさかった。
そして、午前0時を迎えるとともに、人々は低いうなり声をあげ、その後に各所でより盛大な花火が上がったり、乾杯をしたりして、大きな盛り上がりを見せていた。
街の飾り付けもクリスマスのときのものをそのまま残してあった。
割りと寒かったので、午前0時30分ぐらいに帰途についた。
その途中で、グロスミュンスター聖堂に立ち寄った。
ジャコメッティが作ったステンドグラスがあることで有名な教会だ。
地下にあるチャペルでは厳かに何かの儀式(お祈り)が行なわれていて、外の喧騒とのギャップがすごかったが、僕はこのような厳かな雰囲気にとても気持ちが落ち着かされた。
教会の鐘も静かに鳴り響いていて、除夜の鐘を聞いているような気分になった。
今年もよい一年でありますように。
というか、去年は僕の中では大きな一年だったような気がする。
昨年の研究関連のことを振り返ると次のような感じになる。
(去年の研究日記を見ながら書いてます。)